2030年10月1日。
サウジアラビアの首都リヤドで、次のWorld Expoとなる「Expo 2030 Riyadh(リヤド万博)」が開幕します。
約600万㎡の会場に230以上のパビリオンが並び、197か国の参加、4,200万回以上の来場が想定される巨大な国際イベントです。 (Expo 2030 Riyadh)
しかし、リヤド万博を本当に楽しむなら、2030年だけを見ていては少しもったいないかもしれません。
そもそも万博はなぜ始まったのでしょうか。
なぜパリにはエッフェル塔があるのか。
なぜ万博では各国が巨額を投じてパビリオンを建てるのか。
なぜ世界的な企業やブランドが万博に参加するのか。
そして、なぜサウジアラビアは2030年という特別な年に、世界中の人々をリヤドへ迎えようとしているのでしょうか。
その答えを探して歴史をさかのぼっていくと、
万博は「半年間だけ開催される巨大イベント」ではなく、都市、観光、ビジネス、建築、発明、外交、文化を変えてきた世界規模のプラットフォームだった
ことが見えてきます。
1851年ロンドン。
1889年パリ。
1893年シカゴ。
1970年大阪。
2021年ドバイ。
2025年大阪・関西。
そして2030年リヤドへ。
この記事では「Expo 2030 Riyadh Episode 0」として、約180年間続いてきた万博という旅をたどります。
いわば、万博を旅するための「パスポート」です。
- すべての始まりは1851年、ロンドンだった
- 万博は、最初から「ビジネスの見本市」でもあった
- 万博から「商品」が世界へ広がる
- 「発明を見せたい。でも盗まれたらどうする?」――万博が知的財産制度にも影響した
- 国家にとっては「世界最大級のショールーム」
- 万博は「行ったことのない国」に興味を持つ入口になる
- 1970年大阪――アジアに初めてWorld Expoがやってきた
- 万博は都市インフラまで動かす
- 万博の「光」だけではなく「影」も知っておきたい
- そして世界はドバイへ――初めての中東World Expo
- ドバイ万博は「半年後に消える街」ではなかった
- ドバイで巨大な存在感を示したサウジアラビア
- Expo 2030を巡った5都市の競争
- 119対29対17――リヤド開催決定
- なぜサウジアラビアにとって「2030」が重要なのか
- その前に世界はもう一度、大阪へ
- 大阪・関西万博は企業にとっても巨大なショーケースだった
- 万博は「商品を売る場所」から「ブランドを体験させる場所」へ
- 大阪からリヤドへ――2025年10月13日の「バトン」
- リヤド2030は「観光イベント」でもある
- 2030年、ブランドにとっても巨大なチャンスになる
- リヤド万博は、すでに巨大ビジネスとして動き始めている
- Expo 2030 Riyadhは「半年後も残る街」になる
- エッフェル塔のような「2030年の遺産」は生まれるのか
- 万博を一本の線につなげてみる
- 1851年ロンドンから2030年リヤドへ
- 次のページは、リヤドで始まる
すべての始まりは1851年、ロンドンだった
現在のWorld Expoにつながる最初の万博とされているのが、1851年にイギリス・ロンドンで開催された「Great Exhibition」です。
正式名称は、
The Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations
当時は産業革命の真っただ中。
機械、素材、工芸品、製造技術、発明品など、世界各地から最新の「もの」がロンドンへ集められました。
V&Aによると、会場には約14,000の出展者から10万点を超える品々が集まり、5か月半で600万人以上が訪れました。 (Victoria and Albert Museum)
世界中の技術や製品を一つの場所で比較できる。
他国の文化を見ることができる。
新しい発明を知ることができる。
そして自国の技術力を世界へ示すことができる。
現在まで続く万博の基本的な仕組みは、すでにこの時代に生まれていました。
「クリスタル・パレス」――建物そのものが未来だった
1851年ロンドン万博を象徴したのが、
Crystal Palace(クリスタル・パレス/水晶宮)
です。
鉄とガラスを大量に使用した巨大建築で、当時としては驚異的な規模でした。
つまり、展示会場の中に未来の商品が置かれていただけではありません。
万博会場そのものが未来の展示だったのです。
この考え方は、その後の万博にも引き継がれていきます。
パビリオンを見に行ったはずなのに、いつの間にか建築そのものに圧倒されている。
2025年の大阪・関西万博で大屋根リングそのものが巨大な体験装置になったように、この「建築を見るために万博へ行く」という文化の原点も、1851年にさかのぼることができます。
万博は、最初から「ビジネスの見本市」でもあった
「万博」という日本語からは、お祭りや観光イベントのイメージが強いかもしれません。
しかし、そのルーツは非常にビジネス的です。
1851年のGreat Exhibitionは、世界各国の工業製品や技術、デザインを集めた巨大な国際展示会でもありました。
BIEも、初期の万博について、産業革命による技術革新を披露する場所であると同時に、新しい製品やアイデアを紹介し、国家が自国の文化・技術力をアピールする「nation branding」の舞台へ発展していったと説明しています。 (国際博覧会事務局)
現代風に言い換えるなら、
世界最大級の展示会+ショールーム+商談会+国家PRイベント
が一つになったような場所です。
そして万博には、普通の広告とは決定的に違う特徴があります。
商品を見るだけではなく、
「体験できる」
のです。
1889年パリ――万博が生んだ世界一有名な観光名所
万博が都市そのものを変える。
その最も分かりやすい例が、フランス・パリです。
1889年のパリ万博のために建設されたのが、
エッフェル塔
でした。
フランス革命100周年を記念して開催されたこの万博の中心に、当時世界最高の高さを誇った鉄塔が登場します。
1889年の万博期間中だけで、約195万人がエッフェル塔を訪れました。 (La tour Eiffel)
当初から現在のような「永久的なパリの象徴」として扱われていたわけではありません。
ギュスターヴ・エッフェルには20年間の運営権が認められていましたが、万博施設の多くがその後撤去されていったなか、エッフェル塔は残りました。 (La tour Eiffel)
そして137年後。
2025年には約675万人が塔の各階へ入場し、無料の前庭には約1,000万人が訪れています。 (SETE tour Eiffel)
1889年の半年間のイベントのために生まれた建築が、21世紀になっても世界中から観光客を集め続けている。
これこそ、万博が残す「レガシー」の凄さです。
万博は「都市のロゴ」をつくることがある
エッフェル塔だけではありません。
1958年ブリュッセル万博ではアトミウム。
1962年シアトル万博ではスペースニードル。
1970年大阪万博では太陽の塔。
これらは今でも、それぞれの都市や国を代表する観光名所です。
BIEも、万博が生んだランドマークについて、イベント終了後も都市のブランドや観光資源として機能し続ける例として、エッフェル塔、アトミウム、スペースニードル、太陽の塔などを挙げています。 (国際博覧会局)
アトミウムは、もともとExpo 58終了後も残す前提ではありませんでした。
しかし建築の象徴性が高く、修復を経て現在ではブリュッセルを代表する観光名所になっています。 (アトミウム)
シアトルのスペースニードルも、最初から「エッフェル塔のように都市を象徴する建築を残す」という発想で計画されました。 (国際博覧会局)
万博とは、半年間だけの観光客を集めるイベントではありません。
50年後、100年後にも観光客を呼べる都市のシンボルを生み出す可能性を持ったイベントなのです。
1893年シカゴ――「エッフェル塔を超えろ」から観覧車が生まれた
パリ万博でエッフェル塔が世界的な話題になると、次の都市も「自分たちの象徴」を求めます。
1893年のシカゴ万博です。
シカゴは1889年パリ万博に負けない目玉を求めました。
その答えとして登場したのが、
世界初の巨大Ferris Wheel(観覧車)
でした。
シカゴ万博には2,700万人以上が訪れ、会場では約65,000もの展示を見ることができました。電気照明も会場を彩り、万博は「未来の都市」を体験する場所となりました。 (ライブラリー・オブ・コングレス)
BIEは、この観覧車のチケット収入が万博の収益にも貢献したと紹介しています。 (国際博覧会局 (BIE))
エッフェル塔に対抗して生まれたFerris Wheel。
現在では、世界各地のテーマパークや都市で当たり前に見かける存在です。
万博はしばしば、
「まだ世の中で当たり前ではないもの」を、何百万人もの人に一気に体験させる場所
になってきました。
万博から「商品」が世界へ広がる
万博の面白さは、巨大建築だけではありません。
企業にとっては、自社の商品やブランドを一気に世界へ知ってもらうチャンスでもありました。
有名な例の一つがHeinz(ハインツ)です。
1893年シカゴ万博で、ハインツは会場の少し離れた場所にあったブースへ来場者を誘導するため、ピクルスをかたどったノベルティを配布しました。
結果として約100万個もの「pickle pins」が配られたとされています。 (HISTORY)
現代で言えば、
「万博限定ノベルティ」
「SNSで話題になる体験」
「会場限定キャンペーン」
の19世紀版です。
またKodakも、世界各地の博覧会を広告の場として積極的に利用しました。
Kodak自身の企業史には、World Expositionsに広告スペースを確保してブランドを展開していたことが記録されています。
1964年ニューヨーク万博では、Kodak Pavilionが博覧会でも最大級の建築の一つとなりました。 (Kodak)
もちろん「万博に出たから世界企業になった」と単純に言えるわけではありません。
しかし、まだテレビもインターネットもSNSも存在しなかった時代に、
世界中から集まった何百万人もの人へ一度にブランド体験を提供できる場所
がどれほど貴重だったかは想像できます。
「発明を見せたい。でも盗まれたらどうする?」――万博が知的財産制度にも影響した
万博とビジネスの関係で、非常に興味深い歴史があります。
1873年のウィーン国際博覧会です。
当時、一部の外国人発明家は博覧会への参加をためらっていました。
理由は、
「自分たちの発明を展示したら、他国でコピーされるのではないか」
という不安でした。
WIPOによると、この問題が国際的な知的財産保護の必要性を強く意識させるきっかけとなり、その後の議論を経て1883年の**パリ条約(工業所有権の保護に関するパリ条約)**へつながっていきます。 (WIPO)
現在のパリ条約は、特許、商標、意匠などを国境を越えて保護する国際制度の基礎の一つです。 (WIPO)
つまり万博は、
発明を展示する場所であると同時に、
「世界規模でビジネスをするには、発明やブランドをどう守るべきか」
という現在にも続くルール作りにも影響を与えてきたのです。
国家にとっては「世界最大級のショールーム」
企業がブランドを売り込むのと同じように、国も万博を利用します。
各国パビリオンで紹介されるのは、観光地だけではありません。
建築。
食。
音楽。
文化。
先端技術。
スタートアップ。
産業。
投資機会。
そして「これからこの国がどこへ向かうのか」という未来像。
BIEは、国別パビリオンの発展を「nation branding」や公共外交の初期の形として説明しています。 (国際博覧会事務局)
ある意味では、パビリオンそのものが、
その国の巨大な広告
です。
しかし、単なるCMとは違います。
来場者は建物へ入り、
映像を見て、
料理を食べ、
スタッフと話し、
文化に触れます。
そして数十分間、その国の世界観の中に入ります。
だからこそ、各国は万博のパビリオンに力を入れるのです。
万博は「行ったことのない国」に興味を持つ入口になる
ここには観光との大きなつながりがあります。
万博では、一日で何十か国もの文化を見ることができます。
知らなかった国の料理を食べたり、
音楽を聴いたり、
展示を見たり、
現地スタッフと話したりする。
その経験が、
「いつかこの国へ行ってみたい」
という旅行動機につながることがあります。
1970年大阪万博では、77か国が参加し、6,421万人以上が来場しました。
当時、海外旅行がまだ現在ほど身近ではなかった日本人にとって、万博はまさに「世界旅行」のような場所でした。BIEも、大阪万博が日本の人々に海外の文化や成果を知る機会を与えたと記録しています。 (国際博覧会事務局)
1970年大阪――アジアに初めてWorld Expoがやってきた
1970年3月15日。
大阪・千里丘陵でExpo ’70が開幕しました。
テーマは、
Progress and Harmony for Mankind
「人類の進歩と調和」
日本だけでなく、アジアで初めて開催されたWorld Expoです。
77か国が参加し、来場者は64,218,770人。
この記録は2010年上海万博までWorld Expo史上最高でした。 (国際博覧会事務局)
会場の中心に建てられたのが、岡本太郎による太陽の塔。
そして展示されたのは、宇宙開発、通信、映像、乗り物、未来住宅など、当時の人々が思い描く「未来」でした。
NTTパビリオンでは携帯電話につながる技術を来場者が体験するなど、のちの日常生活へつながる技術も紹介されています。 (国際博覧会事務局)
大阪万博は、日本が高度経済成長を経て世界へ存在感を示す巨大な舞台でもありました。
万博は都市インフラまで動かす
万博が残すものはパビリオンだけではありません。
1970年大阪万博に向けて、関西では道路や交通などのインフラ整備が進みました。
BIEによれば、関連整備として約110kmの道路が完成し、都市インフラが更新されています。 (国際博覧会事務局)
同じことは世界各地で起きています。
1998年リスボン万博では、かつての工業地域だったウォーターフロントを大規模に再生し、万博後も新しい都市地区として利用されました。 (国際博覧会局)
万博を開催するためには、
空港。
鉄道。
地下鉄。
道路。
ホテル。
商業施設。
公園。
通信。
エネルギー。
など、巨大な都市機能が必要になります。
つまり万博は、イベントを理由に都市の未来を数十年早く実装する装置にもなり得るのです。
万博の「光」だけではなく「影」も知っておきたい
ここまで見ると、万博は未来と国際交流の素晴らしいイベントに見えます。
しかし、本当の万博史を知るためには、負の歴史も避けて通れません。
19世紀から20世紀初頭の博覧会は、当時の植民地主義や人種観も色濃く反映していました。
1889年パリ万博をはじめとした当時の博覧会では、植民地支配下の人々を「異文化」として展示するような企画が行われ、現在では「human zoos」と呼ばれて批判的に検証されている事例もあります。Smithsonianも、こうした展示が欧米の人種的優越という考えを強化する役割を果たしたと指摘しています。 (スミソニアンマガジン)
1851年のGreat Exhibitionにも、イギリス帝国の30以上の領域から展示物が集められていました。 (Victoria and Albert Museum)
つまり万博は、
その時代が思い描いた「未来」だけでなく、その時代の価値観そのものを映す鏡
でもあります。
その後、植民地の独立が進むにつれて参加国は増え、BIEは現代の万博について、それぞれの国が対等に自国の文化、解決策、未来像を示す国際的な場へ変化してきたと説明しています。 (国際博覧会事務局)
この変化もまた、約180年にわたる万博史の重要な部分です。
そして世界はドバイへ――初めての中東World Expo
そして万博史にとって、もう一つ大きな転換点となったのが、
Expo 2020 Dubai
です。

新型コロナウイルスの影響で2021年10月1日に延期開幕しましたが、World Expoとして初めて中東・アフリカ・南アジア地域で開催されました。
192か国が参加し、2,410万回の来場を記録しています。 (Expo City Dubai)
1851年ロンドンから約170年。
World Expoの舞台がついに中東へやってきました。
ドバイ万博は「半年後に消える街」ではなかった
Expo 2020 Dubaiが特に興味深いのは、
最初から「万博後」を考えて造られていたこと
です。
Expo終了後、インフラの約80%を残し、会場はExpo City Dubaiへ転換されました。 (Expo 2020 Dubai)
現在では住居、企業オフィス、イベント、イノベーション拠点などを備えた都市地区として利用されています。 (Expo City Dubai)
つまり、
1851年の万博=巨大展示会
から、
21世紀の万博=都市そのものをつくる実証実験
へと変化しているのです。
ドバイで巨大な存在感を示したサウジアラビア
そのExpo 2020 Dubaiで、大きな注目を集めた国の一つがサウジアラビアでした。

サウジアラビア館では、文化、自然、歴史とともに、国家改革計画Saudi Vision 2030によって変化していく国の姿が紹介されました。
そしてここから、リヤド万博の物語が始まります。
ドバイ万博が開幕したのは、
2021年10月1日。
そのわずか28日後。
2021年10月29日、サウジアラビアはBIEへ正式に立候補し、
「2030年のWorld Expoをリヤドで開催したい」
と表明しました。
リヤドは2030年万博への5番目の立候補都市でした。 (国際博覧会局)
ドバイで世界に「未来のサウジアラビア」を見せながら、
その先ではすでに、
「次は自分たちが世界を迎える」
という計画が動き始めていたのです。
Expo 2030を巡った5都市の競争
2030年World Expoには、当初5都市が立候補しました。
モスクワ。
釜山。
ローマ。
オデーサ。
そしてリヤドです。 (国際博覧会局)
2022年5月にはロシアがモスクワの立候補を取り下げ、4都市へ。 (国際博覧会局)
その後、BIEによる計画審査や現地調査を経て、2023年6月に最終投票へ進む3都市が決定します。
韓国・釜山。
イタリア・ローマ。
サウジアラビア・リヤド。
開催国を決める運命の日は、
2023年11月28日
でした。
119対29対17――リヤド開催決定
フランス・パリで開催された第173回BIE総会。
投票は「1か国1票」の秘密投票で行われました。
結果は、
| 候補都市 | 得票 |
| リヤド(サウジアラビア) | 119票 |
| 釜山(韓国) | 29票 |
| ローマ(イタリア) | 17票 |
リヤドは最初の投票だけで3分の2を超える票を獲得。
Expo 2030 Riyadhの開催が決定しました。 (国際博覧会局)
なぜサウジアラビアにとって「2030」が重要なのか
サウジアラビアにとって2030年は、単なる次回World Expoの開催年ではありません。
国家改革計画、
Saudi Vision 2030
の目標年です。
観光。
文化。
スポーツ。
エンターテインメント。
都市開発。
テクノロジー。
新産業。
サウジアラビアは石油産業だけに依存しない経済・社会への変革を進めています。
Expo 2030 Riyadh公式サイトも、万博をSaudi Vision 2030で進めてきた変化を世界へ示す場として位置付けています。 (Expo 2030 Riyadh)
つまり2030年のリヤドでは、
「これから変わるサウジアラビア」ではなく、「Vision 2030を通して変わってきたサウジアラビア」を世界へ見せる
ことになります。
その前に世界はもう一度、大阪へ
リヤド開催決定から約1年半後。
2025年4月13日。
大阪・夢洲で、
Expo 2025 Osaka, Kansai, Japan
が開幕しました。

テーマは、
Designing Future Society for Our Lives
「いのち輝く未来社会のデザイン」
158の国・地域と7国際機関が参加。
184日間で29,017,924人が来場しました。 (エキスポ2025)
大阪・関西万博は企業にとっても巨大なショーケースだった
大阪・関西万博には、世界各国のパビリオンだけでなく、多数の企業が参加しました。
NTT。
住友。
パナソニック。
三菱。
PASONA。
バンダイナムコ。
そして大小さまざまな企業・団体です。 (エキスポ2025)
大阪・関西万博協会は、中小企業にとっても万博参加には、
製品・技術・サービスを世界へPRすること、既存の取引先との関係を強化すること、新しい共創へつなげること
などの可能性があると説明していました。 (エキスポ2025)
これは1851年から続く万博の基本構造と変わりません。
違うのは、展示するものが蒸気機関からAIやモビリティへ変わっただけです。
「自分たちの未来を世界へ見せる」
という万博の本質は、170年以上たっても残っています。
万博は「商品を売る場所」から「ブランドを体験させる場所」へ
現代の企業が万博へ参加する目的は、単純な販売だけではありません。
企業館を訪れた人に、
「この会社は何を目指しているのか」
「どんな未来をつくろうとしているのか」
を体験してもらう。
つまり、
企業理念そのものを空間にする
という役割が強くなっています。
映像。
音。
建築。
制服。
接客。
香り。
イベント。
グッズ。
SNS。
すべてを組み合わせて一つのブランド体験をつくる。
これは普通の広告にはできない、万博ならではの強みです。
大阪からリヤドへ――2025年10月13日の「バトン」
そして2025年10月13日。
大阪・関西万博の閉会式。
ここで、非常に象徴的な場面がありました。
BIE旗がExpo 2030 Riyadhへ引き継がれたのです。
閉会式の公式プログラムにも「BIE Flag Lowering and Handover Ceremony to Expo 2030 Riyadh」と記録されています。 (エキスポ2025)
ロンドンから始まり、
パリへ。
シカゴへ。
大阪へ。
ドバイへ。
再び大阪へ。
そして、
次のWorld Expoのバトンはリヤドへ。
大阪・関西万博の閉幕は、一つの万博の終わりであると同時に、Expo 2030 Riyadhの本格的な準備期間の始まりでもありました。
リヤド2030は「観光イベント」でもある
2026年4月、Expo 2030 RiyadhとSaudi Tourism Authorityは観光分野での連携を発表しました。
狙いは、万博来場者を単に「会場へ来る人」にするのではなく、
サウジアラビア各地を旅する旅行者へつなげること
です。 (Expo 2030 Riyadh)
さらに2026年8月にはフランス政府の観光開発機関Atout Franceとも協力。
来場者体験や観光、持続可能な観光開発などで知見を共有する計画です。 (Expo 2030 Riyadh)
つまりサウジ側も、
Expo → Riyadh観光 → Saudi Arabia観光
という動線を明確に意識しています。
2030年、ブランドにとっても巨大なチャンスになる
そして、これはすでに構想ではありません。
Expo 2030 Riyadhは企業向けのCommercial Partnerships Programmeを公開しています。
公式サイトでは、
4,200万回の会場来訪、
世界で10億以上のデジタルリーチを見込み、
ブランドアクティベーション、
新製品発表、
スポンサーシップ、
命名権、
サプライヤー、
ビジネスマッチングなどを企業参加の機会として掲げています。 (Expo 2030 Riyadh)
1851年に企業が製品を並べていた場所が、
2030年には、
リアル4,200万回+デジタル10億規模の巨大ブランドプラットフォーム
へ進化しようとしているわけです。
リヤド万博は、すでに巨大ビジネスとして動き始めている
準備段階から、巨額の投資も始まっています。
2026年9月14日には、Expo 2030 RiyadhとMohammed Al Habib Real Estate Companyが、Expo Village開発のため32億サウジリヤル規模のジョイントベンチャー契約を発表しました。
Expo Villageは会期中に各国代表団などの居住エリアとして使用され、万博後には住宅、飲食、商業、レジャーを備えた街へ転換する計画です。 (Expo 2030 Riyadh)
つまり万博経済は2030年10月1日に突然始まるのではありません。
建築。
設計。
施工。
交通。
IT。
飲食。
宿泊。
観光。
人材。
イベント。
警備。
清掃。
メディア。
コンテンツ。
そしてスポンサーシップ。
開催の何年も前から、巨大な経済圏が形成されていくのです。
Expo 2030 Riyadhは「半年後も残る街」になる
そしてリヤド万博の本当のポイントは、2031年3月31日の閉幕後かもしれません。
Expo公式計画では、万博終了後の会場を、
Global Village
へ転換する予定です。
住宅。
文化施設。
エンターテインメント。
ビジネス地区。
イノベーション拠点。
などを備えた恒久的な都市地区になります。 (Expo 2030 Riyadh)
公式計画では、将来的に15万人が暮らし、1日6万人が訪れる都市拠点になることも想定されています。 (Expo 2030 Riyadh)
これはExpo City Dubaiのさらに先を目指す考え方とも言えそうです。
エッフェル塔のような「2030年の遺産」は生まれるのか
ここで、もう一度1889年のパリへ戻ってみましょう。
当時の人々が万博会場を歩きながらエッフェル塔を見上げたとき、
137年後にも世界中から年間600万人以上が訪れる観光名所になると、どれほどの人が想像していたでしょうか。
1958年のアトミウム。
1962年のスペースニードル。
1970年の太陽の塔。
2020年のExpo City Dubai。
万博には、開催当時にはまだ分からない「未来の観光資産」が生まれることがあります。
では2030年。
リヤドに生まれる建築、技術、街、文化の中から、
2070年、2100年にも残るものは何になるのでしょうか。
それをリアルタイムで見られることも、これからリヤド万博を追いかける面白さの一つです。
万博を一本の線につなげてみる
| 年 | 開催地・万博 | 象徴・テーマ | 万博史での意味・レガシー |
| 1851 | 🇬🇧 ロンドン万博 | クリスタル・パレス | 近代万博の原点。産業革命の技術・製品を世界規模で披露 |
| 1873 | 🇦🇹 ウィーン万博 | 産業・文化・国際交流 | 発明品の国際的な保護をめぐる議論が、後の知的財産制度発展にも影響 |
| 1889 | 🇫🇷 パリ万博 | エッフェル塔 | 万博建築が世界的観光資産・都市ブランドになる代表例 |
| 1893 | 🇺🇸 シカゴ万博 | 巨大観覧車・電気 | Ferris Wheelなど新しい娯楽・技術・ブランド体験を大衆へ広める |
| 1900 | 🇫🇷 パリ万博 | 20世紀の幕開け | 新技術・交通・芸術・都市文化を世界規模で紹介 |
| 1939 | 🇺🇸 ニューヨーク万博 | “World of Tomorrow” | 「未来の生活」を大規模に体験させる万博へ |
| 1958 | 🇧🇪 ブリュッセル万博 | アトミウム | 戦後初のWorld Expo。原子力・科学・未来への期待を象徴 |
| 1962 | 🇺🇸 シアトル万博 | スペースニードル | 宇宙時代への期待。万博建築が都市の恒久的シンボルに |
| 1967 | 🇨🇦 モントリオール万博 | Habitat 67・ジオデシックドーム | 実験的建築や未来都市構想を実物で示したWorld Expo |
| 1970 | 🇯🇵 大阪万博 | 太陽の塔/「人類の進歩と調和」 | アジア初のWorld Expo。6,400万人超が来場し、日本の成長と未来を世界へ発信 |
| 1992 | 🇪🇸 セビリア万博 | “The Age of Discovery” | スペインの国際社会での新しい立ち位置を発信。108参加者、約4,181万人が来場 |
| 2000 | 🇩🇪 ハノーバー万博 | “Humankind – Nature – Technology” | 21世紀最初のWorld Expo。人間・自然・技術の共存をテーマに、持続可能性を本格的に前面へ。日本館では坂茂の再利用可能な紙管建築も登場 |
| 2005 | 🇯🇵 愛知万博 | 「自然の叡智」 | 環境・循環・自然との共生を万博の中心テーマへ。約2,205万人が来場 |
| 2010 | 🇨🇳 上海万博 | “Better City, Better Life” | 中国初のWorld Expo。都市化をテーマに、約7,309万人という歴史的な来場規模を記録 |
| 2015 | 🇮🇹 ミラノ万博 | “Feeding the Planet, Energy for Life” | 食、農業、栄養、食品ロス、資源問題を世界規模で議論。139参加者、約2,150万人が来場。ミラノ都市食料政策協定などのレガシーも残した |
| 2020 | 🇦🇪 ドバイ万博 | “Connecting Minds, Creating the Future” | 中東・アフリカ・南アジア地域初のWorld Expo。閉幕後もExpo City Dubaiとして街が残る、新しいレガシーモデルへ |
| 2025 | 🇯🇵 大阪・関西万博 | 「いのち輝く未来社会のデザイン」 | 大屋根リング、未来社会の実験場。閉幕時には次のWorld Expo・リヤドへBIE旗を継承 |
| 2030 | 🇸🇦 リヤド万博 | “Foresight for Tomorrow” | Saudi Vision 2030の到達年。都市・観光・ビジネス・技術・文化を統合した次世代World Expoへ |
| その先 | 🌍 未来の万博 | ? |
※本記事の年表では、BIE(博覧会国際事務局)が区分するWorld Expo(登録博/一般博)を中心に掲載しています。
そのため、つくば科学万博や沖縄海洋博などのSpecialised Expo(認定博)、国際園芸博覧会などは原則として含めていません。
1851年ロンドンから2030年リヤドへ
万博の歴史は、単純なイベントの歴史ではありません。
産業革命。
世界貿易。
発明。
観光。
建築。
企業。
ブランド。
都市開発。
外交。
文化。
環境。
そして、人類が考える「未来」。
それらが約180年間、万博という一つの舞台に集められてきました。
1851年のロンドンでは、鉄とガラスのクリスタル・パレスが未来でした。
1889年のパリでは、300mのエッフェル塔が未来でした。
1893年のシカゴでは、巨大観覧車と電気の街が未来でした。
1970年の大阪では、宇宙、通信、未来都市が未来でした。
2021年のドバイでは、持続可能なスマートシティが未来でした。
2025年の大阪・関西では、「いのち」を中心に未来社会を考えました。
そして2030年。
舞台はサウジアラビア・リヤドへ移ります。
テーマは、
Foresight for Tomorrow
「明日を見通す」
です。 (Expo 2030 Riyadh)
もしかすると、万博を楽しむ一番面白い方法は、
「未来の答え」を探すことではなく、
その時代の人々が何を「未来」だと考えていたのかを見ること
なのかもしれません。
次のページは、リヤドで始まる
1851年。
誰かがクリスタル・パレスを歩きました。
1889年。
誰かが完成したばかりのエッフェル塔を見上げました。
1970年。
誰かが太陽の塔の下で未来を想像しました。
2025年。
世界中の人々が大阪・夢洲の大屋根リングを歩きました。
そして2030年。
今度は私たちがリヤドを歩く番です。
その会場で見た建物が、未来の世界遺産になるかもしれない。
そこで出会った小さな企業が、未来の世界的ブランドになるかもしれない。
そこで初めて体験した技術が、10年後には日常になっているかもしれない。
そして、そこで出会った国をきっかけに、人生で初めてその国を訪れる人もいるでしょう。
それが、万博です。
約180年間、世界を一冊にまとめ続けてきた「未来のパスポート」。
大阪から渡されたWorld Expoのバトンは、いまサウジアラビアへ向かっています。
2030年10月1日。
Expo 2030 Riyadh。
次のページが開きます。
K-WayYesではこれからも、各国パビリオン、建築、展示、観光、チケット、アクセス、企業、求人、そして万博後のレガシーまで、
「リヤド万博が歴史になっていく過程」そのものを記録していきます。
※本記事はBIE(博覧会国際事務局)、Expo 2030 Riyadh、大阪・関西万博、Eiffel Tower公式資料、WIPO、V&A、Expo City Dubaiなどの公的・公式資料を中心に、2026年9月時点の情報を整理しています。



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